大量の所蔵資料の水損被害 〈対処〉と〈備え〉

実作業の経験から、救出・復旧へ向けた覚え書き

私たちコンサバターは、修復技術者の枠に留まらず、被災した資料のトータルケアも行います。TRCCは、被災資料の管理者、救出・復旧担当者のサポート、そして修理や安定化の実作業を請け負います。
2019年秋は、たくさんの豪雨被害があり、TRCCも、その一つの現場に立ち会い、安定化するまでの実作業を請け負いました。コンサバターの視点で、資料の管理者、保全の政策担当者、復旧現場の実務者(学芸員・職員)の方々に向け、水損資料の救出・復旧作業における、実際に経験しないとわからない、過去・現在・未来、やっておくべきこと・やるべきことについて、覚え書きします。

◆救出初動で大事な「記録」作業

大量に資料を保存活用している所蔵施設が水損被害に遭った時、所蔵資料の管理者、または資料救出の現場担当者は、被災した資料の被害状況の把握を兼ねて、現状の様子を撮影、資料の配架状況と被害の程度の確認。また救出の行動履歴を、記録して残すようにする。
管理者は、被災後早々に、対外的に相談できる相手先に連絡し、内部(管理上位者)への報告、調整、指示待ち状態でも、これから取るべき行動を整理しておく。
(文化財であるなら、可能であれば、平時から「文化財保存活用地域計画」を作成、国の認定を受けておき、有事の際に、協議会からの支援を得られるよう、構成員は戦略的に決めておく、また対処策も事後の届出で済むようにしておくと、被災時の混乱の中でも、手続きを減らし、素早い動きが取れるようになる)

◆初動での確認・判断すべきこと

水害に遭った資料は、初期の段階で、水の浸食を防ぐ・カビの発生を防ぐ・微生物の活動を抑制することをしなければ、急速に傷んでいき、劣化は取り返しのつかない状態になる。
誰がその作業を行うことが可能か。内部の職員か、外部ボランティアか。被災資料の性質に応じた形で、初動の救出の対応を考える。

■救出後の傷みを防ぐために:電源の確保され、二次被害の恐れの無い場所の確保・移送が条件
  • A.風乾:扇風機、除湿器、空気清浄機で乾燥を早める
  • B.冷凍:真空凍結乾燥
〇「A.風乾」を選択した場合

基本、所蔵施設の職員、もしくは、協力支援団体のボランティアのマンパワーでの復旧作業となる。
●初動の救出の参考:国立公文書館 「被災公文書等の救援事業」
例えば救出後の復旧作業を業者にアウトソーシングするならば、事業化するまでの間に短くはない期間を要し、資料は次第に乾燥が進んでいく。被災した状況のまま資料を放っておいては、急速に傷んでいくので、事業化するまでの間に、やっておくべきことが多い。風乾中のケアを行うために、早めにマンパワーを投入する。風乾中のケアは、消毒用エタノールを塗布したり、扇状に広げたり、空気に触れない部分ができないように、濡れた面の位置を変えたり、カビが生えたり、酵母や微生物の活動を抑えることである。
また、乾燥が進むと、本紙同士が接着するおそれがある。特に簿冊資料は風乾させる際に、本紙同士が密接している状態で乾燥が進むと、接する面同士で接着してしまう。簿冊が厚いものはしっかり乾いてしまうと接着が強くなるので、乾燥後に接着面を剥がす作業は、手間がかかる結果になる。濡れが減じ、本紙がまだほんのりと湿っている状態で、本紙を一枚一枚剥いでいけば容易にはがすことができ、また、乾燥も早く進むようになる。
厚く重い資料は自重に耐えられず、資料全体が「くの字」に変形する。乾燥途中で資料の形を整えながら乾かす。(風乾では、扇状に広げて乾かすので、膨らんだまま、本紙は波打ち、本体の厚みは増える資料が多い)
本紙の波打ちの隙間に入り込んだ泥が接着剤の役目をして、乾燥が進む段階で、本紙を強く接着させることがある。また、泥の塊も乾くと硬くなり、除去は容易ではなくなる。そして、泥汚れは本紙を着色させてしまう。染み込んだ汚れのシミは水で洗っても落とせないので、復旧後、汚れた状態での保存を、少しでも避けたければ、救出した後、早い段階での洗浄で、泥汚れを除く作業が必要となってくる。水濡れした本紙は脆くなっているので、紙質によっては洗浄ができない資料もあり、見極めは重要であるが、判断は先延ばしにできない。

風乾中は、資料からのカビの発生を抑え、作業スペースでの作業員に健康害が出ないように努める。防護服、マスク、キャップなどの着用をおろそかにしないように、現場の管理者は準備、指導をする。(「◆作業環境と作業員の健康を守る対策」に後述)

□電源が確保されていない場所での自然乾燥を強いられる場合

救出資料のトリアージ(後述)を行い、優先順位の高い順から、なるべく温度と湿度の低い、空気が滞留せず、流れるところで、カビが生えないように見守りながら保管する。電源の復旧、安全な他所(一時保管場所)への移送を待つ。

〇「B.冷凍:真空凍結乾燥」を選択した場合

濡れた状態で置かず、早々に冷凍処理をしてしまう。(通常の冷凍庫の温度以下であれば問題ない)
また、可能であれば、付着した泥汚れ等を洗浄した上での冷凍処理が望ましい。乾燥後の後処理の手間が激減し、仕上がりも格段に良くなる。

【利点】
  • カビや微生物の活動を止めることができる。初動が早ければ、被害も最小に抑えられる。 
  • 冷凍してしまえれば、乾燥させる段取りを決めるまでの時間を稼ぐことができ、復旧のアウトソーシングの案件化に猶予ができる。
  • 早期の冷凍、真空凍結乾燥ならば、復旧の費用が低く、仕上がりも良くなる。 
  • 水で膨潤した簿冊の、本紙の波打ちや簿冊の膨らみによる変形も、最小限に抑えることができる。
  • 協力支援団体のボランティアに案分することができる。(作業に応じ解凍、乾燥、復旧作業) 
【問題】
  • 有事の際に冷凍設備がなかなか確保できない。平時から、有事の際に備えた冷凍先の確保が必要となってくる。

◆救出時のトリアージと、平時の時の収蔵資料の優先順位マッピング作業

組織的で効果的な救出を可能とするためには、下記の作業を行うことが必要となってくると考える。

  • 資料(または資料群)の被災状態、重要度などで、救出順や、救出後の保管場所・処置方法を割り振り、その後の復旧作業の混乱を防ぎ、スムーズに行うために必要な「トリアージ(優先順位選別)」作業 
  • 平時に策定された、資料の救出優先順位のマッピングに従い、優先、後回しなど、救出の順番を計画的に行う作業 

しかしながら、混乱する被災時において、これらの作業が迅速に行われるためには、災害のない平時に、どれだけ備えることができているかが課題となる。災害が起きた時点を「現在」とするならば、「過去」において、「救出時のトリアージ」を行うことができる人材を確保しておく、「優先順位マッピング作業」を行ない、関係者に周知しておく、という備えを行ってきたかである。
それらの救出の備えがあった上で、「未来」に向けて、被害の状況を踏まえ、復旧に向けたロードマップが描けるかが、資料の復旧の先行きを左右することになる。ここで思考停止になり先延ばしにしてしまうと、資料の寿命をさらに縮めてしまうことになる。
復旧へのロードマップを描くためには、初動の段階で、対外的に相談できる相手先との情報の共有と協議、共闘等のサポートを受けながら、現況を踏まえた上での最善策を思い描けるか、がカギとなる。
また、ロードマップを策定した後も、作業を進めていく途中に、当初の想定からの変更や修正などがあれば、その経緯も「記録」に残していくことが求められる。

◆保全に向けて、資料の「形態変更」も視野に

水損資料の場合、汚泥による汚損や救出時の物理的 な損傷で表紙が傷んでいる資料、また古い金属製の綴じ具が錆を生じているバインダー類も多い。「原形保存の原則」を尊重し、復旧後も形態を変えないという決まりを作ってしまうと、保存や活用、利用に障害となってしまうことも考える必要がある。
文化財ではなく、アーカイブ資料であれば、現状の記録(出所、原秩序、原形の記録)を取り、変更の理由と合わせて、経緯の記録を残すことによって、原理に抵触しないものと考えられる。原則にとらわれず、水損からの復旧した資料の保全と活用を尊重した形態に変更することも、十分に検討し、決定、実施する。

◆作業環境と作業員の健康を守る対策

カビなどの被害が顕著な場合、作業場の環境と作業員の健康リスクを下げるには、乾燥後のクリーニング作業や本紙の固着頁の剥がし作業よりも先に、殺菌燻蒸を行うことも考える必要がある。殺菌の燻蒸薬剤は、酸化プロピレン、もしくは酸化エチレンが推奨されている。
※注意点:濡れの多い水損資料に対して、酸化プロピレンや酸化エチレンでの殺菌は、避けるべき化学反応が起こるリスクが高い。
●東京文化財研究所ウェブページ:被災文化財について殺菌燻蒸、およびその後のクリーニングを実施する場合の注意点 「被災公文書等の救援事業」
●水・塩分で被災した資料の殺菌燻蒸の注意点:資料中の水分・塩分による副生成物の生成量の調査結果について(保存科学51号報告)
●被災資料から発生するカビに対する注意点:<重要> 被災文化財における人体への健康被害の可能性の あるカビの取扱い、および予防に関する注意点

◆濡れの甚だしい劣化損傷資料への対応:ガンマ線殺菌へ

濡れの多い水損資料に対する殺菌燻蒸は、薬剤の化学反応による人体・資料への影響のリスクが高い。救出の初動が遅れ、微生物害・劣化損傷が進行してしまった資料が「群」となっている場合には、復旧作業の工程を鑑みたうえで、ガンマ線殺菌の選択が有効な場合もある。
(線量域については専門家からのアドバイスが必要 ~ 濡れの甚だしい資料と、乾いている資料では、ガンマ線の照射時の、ラジカルの発生状況で差が出る傾向が認められているので、濡れの度合いが混在している場合などは特に設定が難しくなる。)
●参照:和紙に発生したカビの放射線殺菌に関する研究_文化財保存修復学会第39回大会口頭発表

□ガンマ線殺菌を考える状況〈作業の工程上〉
  • 本体の損傷が想定を超えるほど劣悪であり、濡れを生じ、カビ・微生物も活性化している資料を、屋内に持ち込まないといけない場合
    →作業所に持ち込むには、殺菌しておかないと作業所内が汚染され、人体やほかの資料、そして空調設備によっては、館内の他のフロアまで汚染される危険がある。ガンマ線殺菌は、濡れのある資料、または冷凍された資料を確実に殺菌できる。
  • 長期間濡れの状態で置かれ、微生物の活動が活発化、発酵・腐敗し、冷凍することで損傷を抑える段階を超えてしまった資料が、多量にある場合
    →真空凍結乾燥を行うために冷凍する際にも、汚泥等の汚れの洗浄後、資料は冷凍された状態でガンマ線殺菌が可能のため、冷凍前にエタノール消毒を行なう工程を略すことができ、冷凍の効果、作業の安全性と作業効率もあがる。

◆資料の救出を盛り込んだBCP(事業継続計画)策定の必要性

被災時には、人命の救助・所蔵資料の救出・所蔵施設の復旧、という、切り分けて考えるべき課題に対し、同時並行的に取り組まなければならないが、多くの事例で資料救出が後回しになる傾向がある。資料の復旧を考えると、緊急時の対応と救出は、最初の48時間の動きが大切で、時間が経つに従い、損傷等の状態の差が出てくるとされている。
●文化庁ウェブページ:文化財防災ウィール(PDF)
資料を管理する責任者は、この事実を把握し、緊急時にどのように対応しなければならないかを、平時からシュミレーションしておくべきである。所蔵機関にBCP(事業継続計画)があれば、その内容に、資料の早期の救出と対処法を加えておくよう、平時のうちに働きかけを行う必要がある。