コラム

建築図面のペーパーコンサバターとして生きる私② 安田 智子

●オランダ留学前にアジアを知る

龍騰紙

龍騰紙を広げてみせるベトナム人所有者

私がなぜオランダを留学先に選んだのか? その答えは大学四年生の冬に「アジアにおける歴史的文書史料の修復保存総合調査」*1) に参加してベトナムを訪れたのが契機です。首都ハノイの国家文書局で阮朝時代の貴重歴史文書が戦乱や貧困のため大量に劣化損傷が進み、近年始められた修復に粗悪な材料が使われている現状を目の当たりにしました。経済的復興に目途のつき始めたベトナムは今、民族のアイデンティティを取り戻そうとフエでは歴史的遺跡の修復保存に外国の支援を受けていましたが、歴史文書の救済に関してはまだまだ遅れているとのこと。フエで皇室ゆかりの神社や民間所有の19世紀の歴史文書の調査を行い「龍騰紙(りゅうとうし)という黄色く染めた縦約50センチ、横120~135センチの横長の素晴らしい紙を見ました。昔ハノイで漉かれ皇帝が使用したという高貴な紙で、調査チームの製紙技術者によると先にハノイで見た粗悪な紙とは違い非常に高い技術で作られている紙だと教えられました。
調査中ベトナム以外のアジア諸国、そして日本にも大量の十九世紀以降の歴史文書が傷んでいて修復が必要であると聞き、そして、そのような大量にある歴史資料のコンサバターが不足していることも知りました。学校の勉強では決して知ることのなかった現実を知り、絵画など一点もの美術作品の修復に従事することしか考えていなかった私は、日本やアジアにある大量に劣化損傷している歴史文書の修復を専門にしようと留学の方向性を定めました。
専門を紙に転向し留学先を考えていた時、「修復を学びたければ、歴史的なモノを残すことに長い伝統があるヨーロッパに行きなさい。紙なら絶対オランダの国立文化財研究所(ICN*2))の修復学校がいい」と偶然にも二人のコンサバターに言われました。なぜICNがいいと言われたのかは後述するとして、手仕事の伝統に裏付けされたヨーロッパの空気を吸いながら修復を学ぶためにオランダを目指すことにしました。

●日本の修復現場を知る

TRCCリーフキャスター

東京修復保存センターのリーフキャスター

ICNの合格通知が届いて渡欧するまでの準備期間に住友財団助成によるベトナム国所蔵のハンノム文書の修復プロジェクトへ参加し、日本の修復現場を知る貴重な経験をしました。修復作業はTRCC東京修復保存センターに委託され、総丁数288丁の文書三点の修復が四十日間で行われました。貴重文書と一緒にベトナム国家文書局館長を含む四名の専門家が研修のため来日し、都内の国立公文書館や国立国会図書館、宮内庁書稜部の修復室、東京国立文化財研究所、関西では京都国立博物館国宝修理所、高知県紙産業技術センターなどを視察しました。私はアテンドをまかされ、わが国の東西の修復保存関係施設を見学する機会を得ました。修復室の見学は昔から非常に難しく特別な理由がないと見学許可が下りないため、留学前の私が国立の修復室や研究所を見学できたことは非常にラッキーでした。
控えめにと思いながらも、私自身初めて踏み入った修復室や修復師の仕事、道具に興味津々で、ゲストの質問にこっそり自分の質問も混ぜたりしました。みなさん親切で、海外ゲストのおまけの存在の私にも丁寧に作業工程を説明してくださり、今まで未知だった日本の紙の修復事情を駆け足で知ることができました。いずれの修復室も伝統的な方法で一日に数枚ずつ繕い、慎重さを求められる作品の場合は時間をかけて一日数センチといった根気の要るゆっくりしたペースで作業が進められていました。中には何年もかかるものもあり、年間に掛け軸など数点、和本でも数冊、といった程度でしか、修復が進まないとのことでした。日本のすばらしい伝統的装瀇技術を見ながら、一方でベトナムで見た傷んだ大量の歴史文書をこのペースで直していったら一体何百年かかるのだろう?その間にほとんどのものは傷みが進行してボロボロになり取り返しがつかなくなると心配になりました。
ベトナム文書の修復に対して東京修復保存センターと日本の専門家による合同検討会で採用された方針はベトナムの繊維を用いたリーフキャスティング法です。リーフキャスティング法はヨーロッパで開発された近代的な方法で、紙漉きの原理を利用した機械で紙の穴の部分にのみ繊維を充填し、水素結合により糊を用いずに新しい繊維と本紙を接着させる方法です。日本の紙に和紙の繊維を用いるように、今回のベトナム文書には高知県紙産業技術センターの協力によりベトナム固有のDO(ゾー)繊維を修復原料として用いることを試みました。高湿と虫食いのため固着した文書をコンサバターの手で慎重に一枚一枚開被した後、リーフキャスティング法でスピーディに欠損部を埋めて一枚の紙によみがえらせるプロセスはまさに修復保存の繊細さとダイナミックさの共演でした。


●インドネシアのVOCアーカイブの劣化損傷

VOC文書

インク焼けが進行しているVOC文書

書架(ANRI)

ANRIの書架の様子

ベトナム文書の修復事業が無事終わり、いよいよオランダに出発するに際し、東京修復保存センターの坂本氏から「大量に劣化した歴史文書の修復を考えているならインドネシアの国立公文書館(ANRI*3))を見ておくといい。」と助言されました。オランダに行く前にもう一度アジアの状況を自分の目で見ておくのはいい経験だと、私はアムステルダム行きチケットをジャカルタでストップオーバーに変更してANRIを訪問することにしました。
到着してすぐに向かったANRIはジャカルタ市内の南に位置した近代的な建物で、1979年に今の建物ができる前は海に近いコタ地区の十九世紀コロニアル風建物が旧文書館でした。インドネシアは十七世紀初頭からオランダ東インド会社(VOC)に統治され、首都ジャカルタ(旧バタビア)に日本を含めアジアの全VOC商館で作成された詳細な記録文書が集まるシステムになっていました。植民地支配は約350年続き地域別に年毎にファイルされた膨大な記録文書ファイルはVOCアーカイブと呼ばれ、書架延長10キロメートルに及びANRIの最も貴重なコレクションとなっています。
案内の副館長によると「VOCアーカイブは長年高温多湿の環境に置かれしばしば水害にも遭ったため、劣化が著しく約20%が深刻な状態にある、近現代の酸性紙文書は酸性劣化が進みボロボロになり始めている」とのこと。書庫ではインク焼けInk Corrosionというインクの成分が紙を侵食してひどくなると文字が抜け落ちてしまう深刻な症状の資料が多く見られました。
そんな中1800年代のスマランという地方商館ファイルを手にとってよく観察した時、おもしろいことに気がつきました。インク焼けの程度と紙質の違いです。インク焼けが甚だしい紙はヨーロッパの紙(ウォーターマークという透かしがある)、一方インク焼けが少ないものは大抵ツルッとして繊維がよく見えるうす茶色のしなやかな紙で、黒いインクで書かれ非常に良い状態でした。当時はオランダ商人が本国から持参した洋紙とインクで記録しましたが、不足すると現地で紙を調達したと記録に残っています。ANRIのスタッフに聞くと、そのうす茶色の紙はダルアンペーパーDluwangといいインドネシアで伝統的に作られていた紙で、インクも現地の材料で作られたものとのこと。将来的にこれらの紙やインクの組成の違いを科学的に調査したら、劣化の解明の一助となるでしょう。マイクロやデジタル技術がどんなに進化しても、このような研究データはオリジナル文書からしか得られず、かけがえのない情報が秘められているのです。

●インドネシアに現存する建築図面

マップケース

大型マップケースと巻かれた図面

図面群

細く巻かれパリパリになった図面群

ANRIでは十七世紀以降の建築図面や地図も保管されていました。日建設計を退職して以来4年ぶりに建築図面を大量にみましたが、ここでは図面の多くはマップケースに平らに保管されていました。かつてはシルクで裏打していて丈夫にしたり、厚手の洋紙で補修していたのですが、現在は和紙に似せた薄い紙を化学糊で裏打しているとのことで作業を見学しました。破れやすい折り目を裏から補強するのですが糊が硬くなりゴワゴワした仕上がりになっているのが残念でした。
インドネシアには2000年に再訪して、ジャカルタ以外の地方でも旧日本時代(1940年代)の土地や建物の図面にたくさん保存されていることを知りました。図面は丸めたり小さく折りたんで使うため折り目が疲弊して損傷が広がりやすい上、保存環境が悪いため劣化の進行が早く変色してパリパリになっていて痛々しい状態でした。戦後の日本を知る上で貴重な資料と思われ、現地では修復保存処置と並行して、日本のアジア建築史専門家による調査研究や目録作成、マイクロ化が早急に望まれているのです。

●オランダ国立文化財研究所(ICN)・附属修復学校

私の学校が附属していたICNとはオランダ文化教育科学省(OC&W)の所轄でアムステルダムにあり、主に3つの部門、①資料研究・展示管理(Collection)②保存科学・情報提供(Research&Advise)③修復教育(Training)から成る研究機関です。ICNはオランダ国内にあるミュージアム、ライブラリー、アーカイブ等の文化的および歴史的施設の収蔵品の管理、保存に関して指導的な立場にあります。指導的といっても、ICN自体は比較的規模は小さく、建物はオランダの典型的な古い長屋の内装を明るくモダンにリメイクしたもので、海外の研究者との交流が盛んでその活動は非常に国際的でいつも開かれた雰囲気がありました。
ここでICN留学を推薦された理由を書きます。オランダでは1980年代にミュージアムが公へのアピールに専念するあまり活発に展覧会を開催しました。そのおかげあって10年後観客数が約1.5倍以上になりました。しかし成功の裏では作品の予防や保存が犠牲となっていたのです。同時に、以前から修復家の間で懸念されていた酸性紙の劣化問題や酸性雨や大気汚染などの環境汚染の文化遺産への悪影響がより問題視されるようになっていました。
そういう時代背景の中で1990年に文化教育科学省(OC&W)が文化遺産保存救済プロジェクト「デルタプランDeltaplan」を設立し、文化遺産の修復や保存のために特別年間予算が500万ギルダー(約3億円)組まれ、年々増加し94年には3000万ギルダー(約18億円)になりました。政府により宣言・実行されたデルタプランはミュージアム、アーカイブ、歴史的建物、考古学分野におけるオランダの文化遺産が危機に瀕しており物理的・化学的ダメージから守ることが緊急問題であるということを国民に広く知らせる効果があったのです。そして、デルタプランの中心的推進機関がICNだったのです。
ICNがデルタプランに貢献していると聞いて、国の政策としての大規模な文化遺産の保存プロジェクトが実際に推進されているという事実にわが国にも参考になると直感しました。遅かれ早かれ、大量にある資料が同じ問題(酸性紙、環境汚染)に直面するはず、いや、オランダより高温多湿のアジア地域の方がすでに影響を受けて劣化が進行している状況にあるはずです。「デルタプランの今の状況を見てこよう、デルタプランのお膝元で行われている修復学校で学びたい」と、ICN留学を強く希望したのです。

●修復学校の教育と訓練

専攻は私の属した紙・書籍の他、金属、木彫、 ガラス・陶器、テキスタイルの全五コース。四年制で入学試験は二年に一度。1998年は試験がない年だったため、私は特別に二年生に編入しました。同級生は紙コース三人、金属三人、木彫五人、ガラス・陶器が三人、テキスタイルは0人。年齢は十八歳から三十歳後半で、外国人は私以外にドイツ人が一人いました。(男女比はほぼ半分)
授業構成は理論と実習が同時進行です。一年生から基礎知識として修復概論、美術史考察、保存科学、素材学などの講義を受け、並行して作品の修復、科学的分析、プレゼンテーションなどの実技訓練があり、それらが三年間繰り返されます。最終年度はインターン年で、本人の希望に応じて国内や海外のミュージアムなどで研修を受けます。ただし、二年生や三年生の休みに希望すれば短期インターンが経験でき、同級生は興味に応じて大英博物館で研修したいといっており、なんて贅沢な機会が学生に与えられるのだろう、ヨーロッパならではの恵まれた教育環境と思いました。
登校初日に担任のバス先生に言われたことが今でも忘れられません。「今日からボクは君の先生だ。何でも聞いてくれ。ボクは君に何を調べたらいいか教えるから、君が考えて答えを出す。ボクは君のレファレンスだ。不満やわからないことがあったらすぐに言うこと。君の親でも兄弟でもないから何か不満があっても君が我慢していたらわからないからねぇ。我慢してもハッピーにならないよ。君がオランダに来てやりたいことに協力するのがボクの役目さ。」
カルチャーショックでした。私は日本で正反対の指導、つまり「師の方針を疑わない」「自分で考えない」ことに慣れてしまっていたので、「先生は答えを教える人」ということを否定され驚きました。「先生はレファレンス」という考えにはその後すぐに慣れるのですが、その時は教育そのものが日本とこの国では違うのだと痛感しました。

●ユニークな授業

テープ除去

テープ除去中

教育プログラムの最大の特長は、先述のICNの①資料研究や②保存科学の部門の専門家による直接指導を受けられる点にあるでしょう。これらの部門のサポートにより、作品の技法や時代背景を英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語など広域な文献検索で調べる、あるいは科学的な調査研究を最新の分析機器を用いて行うなどが授業の一環で訓練されます。二年生では各専攻の学生が混合チームとなり実際の作品や収蔵庫に起こりうる課題に取り組み、プレゼン発表を行なって他の分野への理解も深めさせていました。修復実技は作品を製作することを経験しながら、実際の作品を修復します。作品はICNの責任で本物が教材として学校に提供され、教官の指導の下、生徒が撮影や記録など含めた修復作業を行いました。当然修復報告書もしっかり作成するので教育効果はおのずと高まります。
私がもっとも気に入っていた授業は、現役コンサバターと一緒に受ける授業です。隔週で平日の午前中の授業にすでにミュージアムやアーカイブで修復業務に就いているベテラン修復家が四~五名が出席していました。彼らの修行時代には学ばなかった紙の化学的劣化や保存環境といった紙に関する理論や化学の講義を学ぶ機会が提供されていました。ベテランたちは真剣そのもので、自分たちの業務で日々感じている疑問をドンドン教官に投げかけていきます。そしてその質問こそ学生にはとても刺激になり実際の現場での問題を実感できたものです。先輩修復家は「このクラスで最新の修復材料や化学薬品の知識が理解でき古い世代にとってはありがたい。仲間に会えるのもいいね。いつも午後職場に戻ったらみんなに話しているよ」と言っていました。一度社会に出て再び「学びたい」と大学に入り直した身である私は彼らの気持ちが本当によく分かり、とてもいい教育システムだと感じました。
この授業で知り合ったハーグの国立公文書館(ARA*4)の修復家におそるおそる修復室の見学をお願いしたところ即OK、翌週には見学に行きました。その後、先生に「国立公文書館でインターンをしたい」と申し出ました。研修に賛成してくれその間いくつかの授業を欠席することを了解してくれ、四ヶ月間の研修のチャンスを得ることが出来ました。

●ハーグの国立公文書館でのアーカイブ・インターン

連続式LC

ARAの連続式リーフキャスター

オランダは九州地方程度の小さな国ですが、大航海時代から続くアーカイブには長い歴史があり、1802年設立の国立公文書館には書架延長93キロメートルにおよぶ様々な資料が保管されています。修復室も大規模で、リーフキャスティング室に三人、製本室に六人のコンサバターが働いていました。私の研修目的は連続式リーフキャスター(LC*5)の習得で、その他に資料の劣化損傷評価、VOCアーカイブの調査も行いましたが、いずれも<大量にある歴史資料の修復技術、診断方法>の勉強のためでした。
ARAには十七~二十世紀の歴史文書が大量にあるため、時間のかかる再製本などの修復作業を補うのに連続式LCを使っていました。連続式LCは東京修復保存センターと同じデンマーク製で原理は同じです。違いは長さが3m以上あり自走式ネットの上に置かれた文書がタンクを通過する時に繊維が穴に充填されるプロセスが連続している点です。時間にしてわずか一分。一分間に約3~4枚置けるので一時間におよそ200枚の文書が処置できる計算になり、日本やアジアの大量に傷んだ近代資料にもこの技術は適したものです。アーカイブは多くが簿冊形式で200~300丁あり、一枚一枚処理するには時間と予算の限界があるため、オランダの他ドイツ、フランス、デンマークなどでも連続式LCが稼動しているのです。コンサバターと共に連続式LCを操作しながら、パルプの配合、濃度、厚み、スピードなど人間の目と感覚でコントロールしていく必要を知り、機械の短所を再確認しながら、連続式LCの大量に傷んだ紙を短時間で安定化させるという長所はアジアでも取り入れてしかるべきと感じました。
もう1つの課題はUPAA(Universal Procedure for Archival Assessment)という資料の劣化損傷の評価法です。UPAAは効率的に収蔵資料全体の劣化損傷状況を把握するための統計学に裏付けられたサンプリング手法です。私はUPAAを短期間では完全にマスターできず担当者と書庫を歩き回ってサンプリングデータの取り方を勉強するにとどまりました。UPAA推進者の保存監理官のステーマー氏によると、UPAAは資料の劣化原因や劣化の程度・量がわからない学芸員や資料管理者のためにシンプルでビジュアルな診断基準マニュアルとして製作された手法です。確かに各自バラバラな基準で劣化調査をするより、同じ基準で調査すれば後にデータの比較も可能となります。日本でも自館の資料の劣化状態の程度や量を客観的に把握して保存対策を講じている機関は少ないと思われ日本版UPAAが必要だと思います。
ARAにはインドネシアと同じVOC文書が空調の整った環境で保管されており、ジャカルタで見たVOC文書の劣化症例の話をして特別に東南アジアと日本関係のファイルに絞ってオリジナル文書の状態調査の許可を得ました。オランダ人は私のことを何でも知りたがる奴だなぁと呆れていたと思いますが、学生でしかも外人の私を収蔵庫に自由に出入りさせてくれました。「おもしろい発見あった?」と経験豊富な収蔵庫長が調査を手伝ってくれることもあり、暗く寒い書庫通いの想い出は懐かしいものとなっています。調査の結果を中間レポートとして修復保存部長に提出した時、「我々が守っているアーカイブは調査研究したい人がいつ如何なる目的で必要する可能性を秘めた情報の宝庫だから、常にベストな状態で誰にでも開かれて存在していることが重要だ。君はコンサバターだが調査を体験してみて、資料をどう残せばよいかわかっただろう。」といわれアーカイブの活用と保存の意義がわかった気がしました。

●地図、図面、建築資料の保存

筒型収納棚

海洋博物館の筒型収納棚

縦式ハンギング収納棚

ロッテルダム市立アーカイブの縦式ハンギング収納棚

ロッテルダムの海洋博物館でも三ヶ月間研修しました。コレクションは海に関わるもの全てで、模型、地図、船や港の図面、写真、ポスター、引き揚げ遺物など多種多様でした。ミュージアムはアーカイブと違い修復対象は展示や貸し出しに供される作品が主です。モノが動く際に学芸員とコンサバターの間で修復の要不要が検討されるからです。ここの修復室では私は実地訓練に終始しました。ドローイングやポスターの破損箇所の繕い、シミ除去、昔の裏打ち除去、保存箱作り、展示用マッティングなど基本的な処置をICN修復学校の卒業生である先輩コンサバターの指導で、次々と行ないひたすら手を動かす毎日です。
海図や図面のコレクションを見に収蔵庫に入りましたが、大きなマップケースには図面は平坦に保管され、大きな図面は省スペースのため丸めて筒に入れて収納していました。私が建築図面に興味を示すと、ロッテルダム市立アーカイブもいい図面コレクションがあると紹介されました。ここはたくさんの海洋関係の図面やポスターをポリエステルフィルムにはさんで縦に吊るして収納していました。縦だと探し易く取り出し易いということで、図面の保存方法は量やスペースによって様々あるとわかりました。
研修中ロッテルダムに住んだので、通勤途中キューブハウスの下をくぐり、帰りは青と黄色のチューブが目印の市立図書館に通って現代建築の町を体感していました。建築博物館NAI*6)に行った時ちょうど長谷川逸子展が開催中で、結構人が入っていました。私の関心はミュージアムショップと図書室。建築に関するアート本や技術書などとても充実して見えました。NAIで外人から日本人の私に尋ねられた質問で覚えているのは、「日本は現代建築が自由に建てられて建築家天国だ。だが京都のような歴史地区にも現代建築を建てるのはなぜか。」と「先進国日本にはどんな建築博物館があるのか?」のふたつ。
「そういえば建築博物館って日本にあるの?」とふと思った私は1994年に日本建築博物館構想がまとめられたことなど知る由もありませんでした。そして帰国後初めて修復担当するのがお雇い外国人R.H.ブラントンの明治期灯台図面で、その縁でDOCOMOMOや建築博物館を知り、建築のライブラリアンを辞めてペーパーコンサバターとして建築図面に関わることになろうとは思いも寄りませんでした。

1)『アジアにおける歴史的文書史料の修復保存総合調査報告』1998年,東京修復保存センター発行
2)ICN;Instituut Collectie Nederland
3)ANRI;Arsip Nasional Republik Indonesia
4)ALA;Algemeen RijksArchief (現National Archives of the Netherlands)
5)連続式LC;Long-wired Leaf Caster
6)NAI;Netherland Architecture Institute

■『建築の研究』(No.164, p.12-17, 2004.08) に寄稿したテキストからウェブ閲覧用に制作しました。

建築図面のペーパーコンサバターとして生きる私③