コラム

建築図面のペーパーコンサバターとして生きる私③ 安田 智子

●ペーパーコンサバターとしての初仕事<ブラントンの灯台図面修復>

繊維分析

リネン繊維の顕微鏡写真(100倍)

トレーシングペーパー

透明性の高いリネントレーシングペーパー:手の部分は修復箇所

1999年秋留学から戻って、アジアの文書修復保存支援活動で知られる東京修復保存センターで仕事を始めました。まずは先輩の指導下に入り江戸時代の古文書や明治時代以降の郷土新聞、行政資料、ポスターなど、様々な種類の日本的な資料の修復保存の流れと処置方法を覚えていきました。
しばらくして、江埼灯台の管理事務所で発見された明治期灯台図面16点がアトリエに持ち込まれました。お雇い外国人技師ブラントンR.H.Bruntonの設計で明治2年(1869)頃に描かれ、現役の灯台の図面としては最古の図面です。私も担当の一人となり、建築ライブラリアンを辞めて今度はコンサバターとして歴史的建築図面を扱う廻り合わせに、修復という形で建築界に少しでもご恩返ししたいという気持ちで臨みました。多くの灯台が重要文化財に指定されている日本近代灯台の父・ブラントンの図面の修復にあたっては、海上保安庁および文化庁の担当官と修復方針の慎重な検討を繰り返しました。
まずは修復前記録として、撮影、本紙や描線、彩色の素材、特徴、劣化損傷の状態を調査します。本紙は厚口の和紙で裏打された洋紙8点(後に裏打ちを除去すると非常に薄いトレーシングペーパーであることが判明)と和紙8点でした。虫食いや破損、セロテープ補修、酸性劣化といった劣化損傷に加えて、厚み、繊維組成分析やpH測定などのデータを元に診断した結果、用いられた図面用紙はリネン製の舶来トレーシングペーパーと手漉き和紙3種類に分類することができました。本紙の強度は十分あったことから今回の再修復では本紙の情報を損なう裏打を施さず、本紙に合わせた繊維の種類や配合を用いたリーフキャスティング法で修復を行いました。

●図面用紙の情報不足と建築図面調査

図引紙

昭和30年代の手漉土佐図引紙

灯台図面の修復の機会に、当時の図面用紙や描画手法について調べましたが、日本の図面用紙の歴史的変遷等の参考書もなく、すぐに情報不足の壁にぶち当たりました。例えば、今のトレーシングペーパーと違いブラントンのリネンのトレーシングペーパーは淡いクリーム色で光沢がありしなやかで透明性の非常に高いものでしたがいつ頃から日本で使われ始めたのか。また、和紙図面に用いられていた紙は簾の目や継ぎの幅の特徴から土佐で漉かれた「図引紙」とわかりました。図引紙は三椏を原料に用い繊維が長く丈夫でとても滑らかな手漉き薄葉紙ですが、今漉いているのは高知でたった1軒です。手漉き図引紙のことを日建設計の知人に話すと建築業界では「美濃紙」と呼んで愛用しているとのこと。現在使っているという製図用美濃紙のツルツル感は木材パルプを樹脂状のもので固めたもので三椏100%の図引紙とはまったく違うものでしたが、若い設計者は区別なく美濃紙と思っているらしいことを知りました。
図面調査では横須賀市自然人文博物館や国立公文書館のブラントン、コンドル、ヴェルニー、また京都国立博物館の片山東熊の図面などを実際に見て回り、使った紙の多様性、裏彩色といった技法について担当者や建築史家から教わりました。例えば、裏彩色が施されたコンドルの図面は本当に美しい作品でこの表現はマイクロやデジタルでは絶対伝わらないでしょうし、和紙で裏打されてしまった裏彩色はその効果が損なわれていました。これはオランダの国立公文書館でのVOC文書の素材調査で一部の資料がラミネーションや裏打ちされていて素材の解明が困難となっていたのと同じ残念な事例です。修復はただ丈夫にすればいいのではなく、オリジナル資料の持つ様々な情報をできるだけ残して後世に伝えるための保存手段であることを再認識させられました。海外に比べて製図用紙や描画手法・道具の呼称や歴史についてあまり研究されていないことを知り、今回の図面の修復と調査で得た知見を多くの方々と情報を共有するために報告書にまとめることにしました。

●日本の建築資料保存の重要性

報告書作成にあたって調査のタイミングがよかったのと私の前職の経歴が活きて、2000年に開催された神奈川県立近代美術館「文化遺産としてのモダニズム建築展(ドコモモ20選)」や「日建設計創業100年記念・建築の設計原図展」、建築文化の特集「生き残れるかモダニズム建築-保存に向かうドコモモの活動」(2000年6月号)の情報をキャッチすることができました。
日本の建築界でもドコモモ、建築博物館、近代化遺産保存など、建築資料の保存の重要性が話題になっていたこの時期に、建築アーキビストで90年代後半から米国の建築アーカイブで研修されその重要性を訴えていた中原まり氏(現在ワシントンDC・オクタゴンミュージアム勤務)に報告書への執筆依頼をしたご縁で、当時の日本の建築資料保存活動には様々な課題があり遅々として進んでいないことを知りました。他にも科博の清水慶一氏に「灯台建築と図面の歴史的評価、保存の意義」について執筆協力を得て2000年11月に灯台図面の修復報告書*1) を自費出版できました。報告書をドコモモや建築資料保存に関心を持たれている関係者に配布したところ専門外のコンサバターの私たちに多くの共感的反応を寄せていただきました。

●建築資料の修復保存実践例

図面 修復前

焼玉エンジン図面(修復前)

図面 洗浄中

特大のバットで洗浄中

報告書発行以降、東京修復保存センターでは建築図面に関していえば戦後のボロボロになった焼き玉エンジン図面や大正から昭和のパリパリになったトレーシングペーパーの土地図面や青焼き、図引紙など様々な建築資料を修復しています。
焼玉エンジンを例に修復保存処置の概要を説明します。機械図面の類いは門外不出の扱いをされるものらしくほとんど残されていなく会社が倒産でもしない限り残ることはとても稀なケースで、産業考古学会の調査でも全国で10台も現物はなく図面にしても大変貴重とのことでした。おそらく工場内で長年丸まって置かれていたと思われる2枚の大判図面は表も裏も真っ黒い煤をかぶり斑点状の機械油のシミがついて、全体にまっ茶色に変色して鉛筆の線が沈み込んで何が描かれているのかよくわからないほどでした。本紙は触るとボキッと折れそうになる状態でpHは3.88で酸性劣化が著しく進行していました。ドライクリーニング後も鉛筆の描線がはっきりみえず、普通の水だけでは落ちない茶変色した汚損物質を除去する方法を東京文化財研究所修復技術部の協力を得て調査検討しました。茶変色物質の特定までには至りませんでしたが、除去のために超純水、アセトン、エタノール、アンモニア等の溶剤が試され、アンモニア水溶液が最も効果があることが判明しました。検討の末、高濃度の溶液で洗浄すればもちろん紙は白くなりますが同時にセルロースが傷むため、本紙が脆弱化している今回は紙に負担をかけないために極力薄い濃度で2回洗浄することにしました。オリジナル資料を必要以上に傷めることになる強い洗浄を避けた修復処置を補完する処置として赤外線撮影を行い、鉛筆の描線を浮かび上がらせ鮮明なデジタル画像として取り込み、結果として依頼者にも大変満足していただけました。
現在は重要文化財の自由学園明日館(F.L.ライト・遠藤新共同設計、1921)のパース図面を修復保存中で、これも数年前に学園の創立者の自宅で新聞紙に包まって見つかったものです。図面は全てアメリカのタリアセンにあり、遠藤新事務所は東京大空襲で焼けたので当時の図面はなく非常に貴重なものですが、何ら素材調査することなく修復したためオリジナルの情報に乏しくあらためて科学的な調査をしています。
全国にある「古い汚い価値の無い図面」として捨てられてしまうかもしれない資料のことを思うとやはり建築図面、機械・土木図面などの建築資料の保存について何らかの呼びかけが早急に求められているように思いました。虫食い和紙文書と違い劣化スピードが速い近代の資料は素材や環境など様々な要因で複合的な劣化損傷を呈していることが多く、その修復保存のアプローチは多様なので劣化要因を解明するための素材調査や分析の経験を蓄積することが不可欠なのです。
ただし、ちょうどその頃インドネシアやベトナム、アルメニアなどアジア方面の文化遺産の修復保存支援と、災害をテーマにして、文化遺産の自然災害、酸性紙の脱酸やアメリカの9.11事件など戦争やテロといった人災対策の調査を担当したため忙しくなり、私が本格的に建築資料の保存にたずさわることはありませんでした。

●建築博物館コレクション・伊東忠太資料の劣化調査

pH測定

紙表面のpH測定中

インク焼け

インク焼けで文字が欠落し始めている

したがって2003年1月に日本建築学会に建築博物館が発足したことも知りませんでした。再び建築資料に関わるきっかけは、伊東忠太関係資料の調査です。日本建築学会に伊東忠太関係資料が寄贈されたのが2000年。整理小委員会による整理研究の末目録が作成され、展示公開が決まり、展示に供する資料を選び終えた展覧会の約1ヶ月前2003年の2月末に相談を受けました。
建築博物館には専任学芸員がいないため、忠太コレクションの日常の管理は学会の図書館の方、展覧会企画は小委員会のメンバーが担当されていました。時間と予算の限界から、展示に供する資料150点のみの現状記録として1点1点の劣化損傷状態の個別カルテを作成し劣化程度を3段階に分類するコンディションチェックと環境調査を行いました。結果、劣化損傷が激しく貸出しに不適と診断した3点を小委員会の合意を得て差し替えました。コンサバターの立場では本当はまだ10点ほどドクターストップをかけたかった資料がありましたが、展示企画にとって重要性が高い、かといって修復の予算はないとのことで取扱に細心の注意を要すとの条件付にして泣く泣く展覧会に送り出しました。
余談ですが、オランダの博物館研修中の光景で、学芸員が「この資料の傷みが心配なのだけど貸出して大丈夫かな?」と修復室に相談に来て「OK」あるいは「No!要修復」とコンサバターが応じていました。博物館の本来の保存と活用とは「資料の状態を整えて活用」することなのです。劣化調査中、博物館としての機能が整っていないため忠太コレクションの管理は実質的に小委員会メンバーの熱意に支えられている事情がわかりましたので、私は学会の門外漢かつペーパーコンサバターとして、調査報告書には建築博物館コレクションの保存と活用に対して必要と思われた具体的な5項目(酸性紙やインク焼けの化学的劣化対策、破損の予防的修復、収蔵環境など)を挙げて改善提案をしました。近い将来に実現することを期待しています。

●建築資料の保存と活用<何のために保存するのか>

森田氏

会社の図面保存を訴える森田氏(中央)

建築博物館の所蔵コレクションの劣化調査がきっかけで、再び私自身が建築資料の保存に少しずつ関わることになりました。以前勤めていた日建設計広報室の方の紹介で、アサヒビール会社OB森田正博氏とお目にかかりました。70歳になった森田氏は元工場建築担当で会社の根幹をなす明治期以来の貴重な建築図面やレンガ等部材の資料が整備されておらずその価値も正当に評価されずどんどん廃棄されていくのに胸を痛めて、定年退職を早めてボランティアで資料整理を10年間されています。会社の許可を得て日建設計に持ち込まれた明治初期のドイツ製図面を囲んで設計者らは「図面の描き方や製図道具、複写手法からドイツの技術が進んでたんがよくわかるねぇ」などと盛り上がりました。やはりオリジナルにはいつも人の気持ちを動かす大きな力があるのだと実感しましたし、このような資料が保存されていくことで新たな活用の機会を得て新たな知見につながるのです。
森田氏は今でも一人で一枚一枚資料を見て記録を残しています。まさにアーカイビングです。会社の資料室にもその活動を理解する方がいて森田氏から古い資料のことを聞きながら資料整理をされているとのこと。私企業はその歴史を永続的に保存するのは会社の方針となり、本来部外者が口出しする問題ではないと思います。ただ、それがある時期の日本の経済や技術史、生活文化、外国との交流といった日本社会を反映する場合、その企業の歩みを証明する歴史的資料を残し日本の近代史に貢献できる企業こそ一流企業、先進企業といえます。
滞欧でいつも感じるのですが、ヨーロッパではいいものは決して捨てられません。捨てるほうが楽です。でもここでは、その行為は捨てる程度の歴史しか誇っていないと自ら認めることなのかもしれません。前稿の最後に留学時代にオランダ人から「先進国日本にはどんな建築博物館があるの?」と聞かれたと書きました。彼らから見れば日本は先進国でかつ長い歴史と文化のあるアジアを代表する国なので、建築博物館への期待も大きいのでしょう。(私も同感です)ここで言う建築博物館とはハードのことではなく、保存されているコレクションのことで<何のために保存するのか>という収集・保存・活用のポリシーが重要となります。建築物や建築家は日本の明治以降の近代化、都市化にあたり、社会へ及ぼした影響が非常に大きいのですから日本の建築資料の存在はもっと社会的であるはずです。

●建築アーカイブに求められること

今年2004年7月5日に田町の建築会館ホールで「国内外の建築アーカイブの現状~建築アーカイブネットワーク構築に向けて~」と題したシンポジウムが開催されました。近代建築資料総合調査特別委員会(2001~2003年度)*2)のメンバーの方々による内外の報告はとても中身の濃いものでした。タイトル通り、国内の設計組織、大学、博物館の建築資料保存の現状報告では各組織の特徴や事情を分析されて国内の状況がよくわかりましたし、海外事情はアメリカの建築アーカイブの設立の背景、コレクションの内容、運営、保存について具体的な報告からすぐに日本でも取り入れられるのではないかと思うことが多くありました。委員会3年間の総括は、「日本建築学会が多様なアーカイブを相互につなぐセンターとしての役割が期待され、学会内に建築資料に関する小委員会を設置し、(中略)建築資料の環境整備に必要な方策を検討する」と提言で結んでいます。これはぜひ早期実現を願います。
建築史家でも建築家でもない私がここで触れたいのは、上記の委員会設置と並行して「今できることは今やらなければならないのではありませんか?」ということです。
幸い日本建築学会の中には日本初の建築博物館がすでにあります。残念ながらそのコレクションの保存状態は決してよいとはいえません。まずはこの建築博物館のコレクションの保存環境を整え、育てることが必要だと思いますし、今すぐにできます。
伊東忠太関係資料に関しては、書誌データや目録作成も終え、デジタル化されています。資料にはとても傷んだものがありますし、保存環境の温湿度調整もされていませんが、先行的に行なった劣化調査の診断結果にあり、次に必要な修復保存処理も報告していますので何をやらなければならないかは整理小委員会の方は把握しています。私が手にとって調査した忠太の明治~大正時代のフィールドノートは、彼が旅したアジアやインドなど当時の現地の風俗生活が詳細に生き生きとスケッチ、メモ、スクラップなどで記録されており、あまりの面白さに調査中しばしば手を止めて見入ってしまうことがありました。歴史資料としても第一級史料と思われ、建築史家以外にも広く研究されることが期待されますが、明治時代のものは非常に劣化がひどく、インク文字が抜け落ちるような症状も見られほとんどが「劣化甚大」と診断されました。現状は簡易の保存容器に納められているだけなのでコンサバターの私から見ると深刻な状態です。
誤解を恐れずに例えると建築博物館の資料の現状は「大事な子供を里子として預かり名前も付けたのにまともな服も着せずにケガや病気を持っているのに放置されている状態」といえば言いすぎでしょうか。先の委員会の提言のように学会には既存の建築アーカイブを結ぶセンターの役割が求められているため、足元の博物館に海外事例を一つでも二つでも参考にして取り入れ保存のモデルとすれば、建築資料の保存の機運が高まると思います。

●建築図面コレクションの夢

最後にこの最終稿を書くにあたり、鈴木博之先生の『建築図面コレクションの夢』*3)を読み直しました。今年の7月のシンポジウムの配布資料で初めて読んだ時(日建設計時代から著作等でよく存じている)建築史家の鈴木博之氏がこんな熱い夢を持っておられたと知りました。昔の図面の歴史、わが国の図面が危機に瀕し劣化していること、そして海外の図面コレクションについて語っておられ、私も熱い共感を覚えました。鈴木先生の文章に「安心して寄託できるような施設が生まれてはじめてわれわれの都市や建築は歴史を有することになるであろう」とあるように、今の学会の建築博物館が安心して資料を保存できる環境体制が整いコレクションを守り育てられる施設になり、建物が建設されるのではないでしょうか。
よく建築図面は大きいし量が多いからという嘆きを聞きますが、でも建物全部保存できないし建造物の保存の方がもっと大変ですから、知恵を出し合うことが大切です。できないことを数え上げるのでなく、やらなければならないことをするほうが時に早道です。コレクションの保存と活用のために、海外のように建築関連の企業や団体に一口50万円で寄付を募り建築博物館のコレクションの保存や維持費にあてられないでしょうか。「○○コレクションの保存事業は○○○ファンドによりなされた」とアピールしていただくと一石二鳥かもしれません。
建築図面の修復保存を通じて、内外で建築資料保存に関わっておられる建築史家や建築家の方々と知り合うことができ、みなさんの「建築図面コレクションの夢」の実現に向け私も微力ながらペーパーコンサバターとして今後もできるだけの支援をしたいと思います。

1)海上保安庁所蔵明治初期灯台図面修復報告書 東京修復保存センター発行2000年11月
2)日本建築学会近代建築資料総合調査特別調査委員会報告書 日本建築学会編 2004年3月
3)「都市のかなしみ建築百年のかたち」中央公論新社2003年 初出「中央公論」2000年11月号

■『建築の研究』(No.165, p.20-24, 2004.10) に寄稿したテキストからウェブ閲覧用に制作しました。