コラム

コラム:文化財を遺していくということ  児島 聡

文化財の修復の大変さ

文化財の修復というのは病になった老人を扱う医療行為のようです。弱っている身体への治療は慎重になりますし、治療の途中で危篤に陥ってしまう事態もあります。無事に治療を終えたとしても、あとは終末期医療のように、寝たきりにならないくらいに静かに余生を送らせることになります。修復はこれに似ています。

文化財は「人」に守られてきた

なぜモノは傷み弱ってしまうのでしょう。それは私たちの暮らしているこの環境に要因があります。日本の風土は高温多湿の気候で、モノが朽ちやすい環境なのです。カビを代表とした微生物、紙や絹、木材が大好きな昆虫もたくさんいます。突如災害に見舞われることも。文化財には口が無いので、苦しい環境に置かれ死んでしまいそうでも、文句ひとつ言えません。気にかけてくれたり守ってくれる人が居て始めて、文化財は守られ受け継がれていくのです。

日本のアーカイブの特異点

歴史は、過去の遺物無くして語れません。その中でも古文書は代表格でしょう。これらは記録史料(英語で、アーカイブ【Archiv】と言います)といい、私たちの大事な「記録遺産」なのです。それらはどこに保管されているのでしょう。歴史館や博物館に収められているものもありますが、その多くは一般の家々に置かれており、そのことは日本の特徴ともなっています。所在リストすら無く、未だ発見されていない重要な史料もたくさん存在すると考えられます。

歴史公文書の私蔵問題

例えば、沖縄返還協定の裏に結ばれていた極秘核密約文書が発見された問題。日米両国首脳の間で交わされた合意文書が、佐藤元首相宅で発見されたと報道されました。日本への米軍の核持ち込みを容認する密約があった事は大きな問題ですが、もう一つ大きな問題があります。それは国の最高責任者同士の約束の文書が、元首相の「自宅」から見つかった、ということです。これは大変憂慮すべき問題です。なぜならこのような歴史的な文書と関連する記録群は、歴史公文書としてきちんと所蔵機間(国立公文書館や外交史料館)に整理保管されるべきものだからです。

被災資料の保全活動「史料ネット」

これは歴史公文書の話ですが、古文書においても、歴史の検証に不可欠な史料が各家々に眠っていて、もしかしたら明日にでもゴミと間違われて捨てられてしまう危険があります。代表的なものに災害というリスクがあります。このリスクから貴重な史料を守るために「歴史資料ネットワーク(通称:史料ネット)」の活躍があります。阪神・淡路大震災後、被災した記録資料の保全を進めるため結成されたのが始まりのボランタリーな組織です。

ゴミになる資料を危機から救う

被災した家屋が修復や解体される時には、個人が所有している様々な記録資料が処分されてしまう危険があります。大事な史料なのに、なぜ捨てられてしまうのでしょう。それは、未整理の史料というものは、埃まみれだったり、虫に食われていたり、ゴミの一歩手前の状態だったりするからです。しかも書かれた文字は崩し字で、所有者も読むことができません。そんな史料が、不幸にも倒壊した倉や建物にあれば、ガレキと一緒にそのまま捨てられてもおかしくありません。そんな状況を憂い、危惧を抱く人びとが集い、活動の輪が広がり、全国各地にネットワークができました。

津波被害資料の情報を残した功績

これらのネットワークは災害後の史料の保全活動だけでなく、災害前の「予防」活動にも力を注いでいます。この予防の意識が東日本大震災において、多くの情報を救いました。NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(略称は宮城資料ネット)の活躍です。宮城資料ネットでは、2003年より活動を始め、家々に所蔵されている史料に対して、デジタル画像による複製物作成を進めてきました。その手法は「歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影」として、今では方法論が確立しているものです。
この活動の効力が、東日本大震災の津波被害の時に発揮されました。津波に襲われた沿岸部の家々に所蔵されていた貴重な歴史的な記録資料の多くは、流され失われてしまいました。しかし、事前に宮城資料ネットによって撮影されていた史料のデジタル画像(複製物)は残ったのです。オリジナルが失われてしまったことは残念でしたが、情報のすべてが失われる最悪の事態は避けられました。バックアップ、分散管理が有効に働いた事例です。

未指定の文化財の問題

国や地方自治体から認められた「指定文化財」は、行政の保護下にあり保全されますが、文化財は未指定のものの方が膨大にあります。これらは法律のしばりはなく保護されません。その隙間を埋めるために歴史資料ネットワークは活動しています。日本のアーカイブは、行政レベルよりも、このような個人レベルによる資料保全の意識の高さによって支えられ、またそれゆえの限界もあります。

大事な「アーカイブを残す意識」

私たちの祖先が残してきたもの、これから私たちが残していくべきものは、国の歴史や私たちの活動が確かにここにあった、という証となります。アーカイブを残す意識が、国も、また私たちも問われているのです。

第一学習社 2013年 第15号 地歴最新資料 に寄稿したテキスト(「文化財を遺していくということ」)からウェブ閲覧用に制作しました。