コラム

《建築資料》資料の寿命の延ばし方 ~修復の現場から~ 安田 智子

1.すべては思いから始まる

修復という仕事は所蔵者から傷んだ資料を直してほしいと依頼されることから始まります。つまりこのまま放っておいたらダメになるかもしれない資料を何とかして生き延びさせたいという思いから、延命行為が始まるのです。ただし「思い」だけでは資料は残せません。本稿では、弊社の顧客の事例を通してどのように建築資料が後世に残されているかをご紹介したいと思います。

2.修復による延命

明治期の灯台図面(ブラントン設計)をリーフキャスティングで修復した時は、図面用紙に西洋の亜麻製トレーシングペーパーや日本の楮や三椏の図引紙などいろいろあったため、我が国の図面用紙について調べました。文献では素材や歴史などに関する情報もなかなか得られず、いくつかの公文書館や博物館で歴史的図面を実際に見て、いろいろな素材や種類がありインクや墨、色鉛筆もかなり多様に用いられて描かれていることがわかりました。調査中に見たお抱え外国人やその弟子たちの裏彩色が施された手描きの図面は本当に美しく、厚い和紙で裏打ちされていると損なわれていました。

汚損した図面

修復前:破損し汚れた青焼き図面

修復作業後の図面

修復後:フィルムに収めた青焼き図面

別の例ですが、工場の隅で埃をかぶった昭和30年代の機械図面で機械油のシミがついて紙がボロボロに劣化してまっ茶色になって何が描いてあるかもわからない位汚れていたものを修復しました。クリーニングを施してフラットニングして整形することで紙力を取り戻し鉛筆で書かれた設計図であることがわかりました。水だけでは落とせない汚損物質を除去するには薬品も使わなければなりませんが、強い薬品を使って漂白しても逆に紙を傷めることになりかねません。東京文化財研究所の協力を得て、過剰な洗浄は避ける代わりに低濃度のアンモニア水で洗浄を繰り返して汚れを除き、紙の暗色化で判別できなくなった鉛筆の線は赤外線撮影により鮮明なデジタル画像を取り込んで図面情報を得て、捨てられていたかもしれない図面を保存することができました。

3.予防による延命

このように修復現場では資料に対して、紙質や筆記メディアに合った修復技術、時にはデジタル技術も駆使して、その寿命を延ばしていますが、その前に、つまり資料が劣化する前に行うのが予防処置です。 青焼き図面の場合、ジアゾは光に弱く経年で色が薄くなる傾向にあり設計図書の簿冊に綴じ込まれていると空気に触れる折り目の部分が白くなります。数百枚の青焼き図面を修復した時は、本紙をフラットニング、補修してL字にシーリングしたポリエステルのフォルダにバッファー紙*1)と一緒に納めました。と同時に、不安定な色材の劣化に備え将来的な情報の消失を防ぐため、デジタル撮影をしてデータを提供しました。これも予防の一環です。

巻き戻る図面

図面が巻き戻る様子

図面フォルダー

図面フォルダーに納まった様子

丸筒に押し込められていた図面を開いたらクルンと巻き戻って破損が生じることがよくありますが、資料を傷めないためにも最低限のフラットニングは不可欠です。図面整理にやっかいな巻き癖を取り除くには、ポリエステルフィルムに挟んで逆巻きにするのが誰にでもできる安全な方法です。本格的には超微小な蒸気を用いた加湿方法で図面を完全にフラットにします。 また図面専用フォルダの製作を我々修復家が請け負うこともあります。日本建築学会の曽禰中條建築事務所の数千枚の図面を納めるためのフォルダは、軽量で丈夫な大判の紙帙とフォルダを組み合わせて枚数にフレキシブルに対応できるようにデザインしました。図面整理の担当者のリクエストに応じて少しずつ改良しており、他の図面所蔵機関でも採用されています。現在は三角形の筒型フォルダなど、大きさ、枚数、保管場所など状況に応じたオリジナル容器も製作しています。

4.短命な建築資料の保存と活用

建築資料は近現代の新しい資料ですが、和紙と墨の古文書に比べて短命です。大量生産で生み出された洋紙の酸性劣化*2)、インクや青焼きの変色、クリップのサビ、補修テープの劣化など、素材が物理的にも化学的にも脆弱だからです。 そんな建築資料の保存においてデジタル化の恩恵は大きく、デジタル化によってデータベースからアクセスし画像の検索・閲覧・共有が可能となり、オリジナルを傷めないですみます。しかし顧客を悩ませていることも事実です。デジタル化を経験された方ならわかると思いますが、フォーマット、解像度、撮影方法など細々とした条件を決めなければなりませんが、デジタルに相当詳しくないと仕様を決めるのは大変なことです。これらの条件はどのように活用するか、例えば、デジタルアーカイブをWeb公開する、複製を出力する、マイクロなどに媒体変換する、といったことを想定して決められるもので、多くを求め過ぎるとデータ量が大きくなり画像を開くのに時間がかかりストレスを感じるケースは少なくありません。 私は修復とデジタル化をお考えの顧客には、「オリジナルは残し、デジタルデータは軽量化でサクサクと活用し、詳細をみる時にオリジナルを閲覧する。デジタル技術の進化はめざましく、無理にTIFFのような大きなデータを残さなくても今JPEG、PDFといった汎用な形で活用するほうがよいこともある。」と申し上げます。先に挙げた大量の青焼き図面も弊社で修復してデジタル撮影まで行いました。画像データの活用を顧客と同じ目線で考え、画像に文字情報を付加したり管理用コード化をEXCELと連携させてPDF形式で納品し、低予算でもシンプルで使いやすいと好評を得ました。このようにデジタルデータはあくまでも二次資料と考え、高精細なデジタル撮影をする代わりにオリジナルをフラットニングして安定化して保存し後世にその時代に合った媒体変換をする方が、資料の延命という視点では長期的にみて経済的だと思います。

5.建築資料の資源化

かつて訪問したアメリカのコロンビア大学やピッツバーグ大学の建築アーカイブでは巻いた図面には名札がヒモでぶら下げてあり探しやすそうで、古い青焼き図面はフィルムに入れられて図面に触れず安心して扱え、学生が整理作業に参加していました。オランダでは大きな図面を壁面や天井を利用した筒型収納やフィルムに入れたポスターをレールに吊るした収納を見ました。専任者に聞くとどこも決して潤沢な予算があるわけではありませんでした。彼らは建築資料を「たくさんある→∴あきらめる」ではなく「たくさんある→∴できることをする」という発想で少しずつ整理していった結果、アーカイブという「資源」を手に入れたのではないでしょうか。 近代化遺産として明治以降の建物や構造物の保存の意識が高まってきている中、現存する関係資料も保存の対象となります。たくさんある、予算がないという一見大きな壁も、建物や構造物の保存や復元に要する莫大な費用に比べれば、その1%未満でも建築資料の保存にも使うことをルール化できれば、効率的なフラットニングやミニマムな補修で資料を安定化させ、多くの建築資料の寿命を延ばすことができます。資料を活かすのに必要なのはお金と人の熱意です。例えば、資金を募り、学会などの建築資料にミニマムな手当をした保存モデルを実践できないでしょうか?見学者はできることから始めて、また建築を学ぶ学生は建築資料の整理を経験すれば、建築先進国の我が国に「資源」が生まれるのではないかと思われます。

*1 バッファー紙: 酸の影響に対する緩衝作用を持つ紙
*2 酸性劣化: 製紙の際に滲み止めを定着させるために酸性物質を用いることでそれが残留し自己触媒によって繊維を劣化させる現象
■JABS 建築雑誌(vol.25 no.1610 2010.11.20, 特集エフェメラ 第四部(展望)千年先を見て) に寄稿したテキストからウェブ閲覧用に制作しました。