コラム

「オランダの修復教育事情」 安田 智子

海外の修復教育についてのシリーズにオランダの事例紹介を依頼されましたので、私の留学経験を基に書きたいと思います。
私が属していたのはアムステルダムにあるオランダ国立文化財研究所・ICNの附属修復学校です。ICNは3つの部門①Collection②Research&Advise③Trainingから成る研究機関で国内にあるミュージアム、ライブラリー、アーカイブ等の文化的および歴史的施設の収蔵品の管理や保存に関して指導的な立場にありデルタプランで有名です。指導的といってもICN自体は比較的規模は小さくオランダの典型的な3階建て長屋の内装を明るくモダンにリメイクした建物で、海外の研究者との交流が盛んでその活動は国際的でいつも開かれた雰囲気がありました。
修復学校は③Training部門にあたり、紙・書籍、金属、木彫、 ガラス・陶器、テキスタイルの5コース。4年制で大学ではないため入学試験は2年に1度、私の同級生は紙コース3人、金属3人、木彫5人、ガラス・陶器が3人、テキスタイルは0人と少数制でした。年齢幅は18歳から30歳後半で、外国人は私以外にドイツ人が1人いました。(男女比はほぼ半分)
授業構成は理論と実習が同時進行です。1年生から基礎知識として修復概論、美術史考察、保存科学、素材学などの講義を受け、並行して作品の修復、科学的分析、プレゼンテーションなどの実技訓練があります。最終年度はインターン年で、希望に応じて国内や海外のミュージアムなどで現場研修を受けます。同級生は「私は大英博物館で研修したい」などと言っており、贅沢な機会が学生に与えられるヨーロッパの恵まれた教育環境に感心しました。
教育プログラムの最大の特長は、同じ建物にあるICNの他部門の保存科学者、研究者らによる直接指導を受けられる点にあるでしょう。これらの専門家のサポートを受け、作品の技法や時代背景の英・独・仏語他での広域な文献検索、あるいは最新の分析機器を用いて科学的な調査研究などの訓練が行われます。2年生では専攻の異なる学生が混成チームとなり実際の作品や収蔵庫に起こりうる課題に取り組み、プレゼンテーションを行って他の分野への理解も深めていました。実技は作品の製作経験も行い、修復の訓練にはICN の責任で本物の作品が教材として提供され、教官の指導の下、学生が撮影や記録など含めた修復作業を行いました。当然修復報告書もしっかり作成するので教育効果はおのずと高まります。
私が気に入っていた授業は、現役コンサバターと一緒に受ける授業です。隔週で平日の午前中の授業にすでにミュージアムやアーカイブで働いている修復家が4~5名出席していました。彼らの修行時代には学ばなかった紙の化学的劣化や保存環境といった紙の劣化に関する化学の講義が短期コースとして提供されていました。ベテランたちは真剣そのもの。日常業務で感じている疑問をドンドン教官に投げかけます。そしてその質問こそ学生にはとても刺激になり実際の現場での問題を実感できたものです。先輩修復家は「このクラスで最新の修復材料や化学薬品の知識が理解でき古い世代にとってはありがたい。仲間に会えるのもいいね。いつも午後職場に戻ったらみんなに話しているよ」と言っていました。現場で必要な知識は学生時代には学べないことも多いため、現役にも学生にとってもよい教育システムだと感じました。日本でも修復に携わっている人に役に立つ短期などでの通い易いコースが実現できないものかと思います。
ICNの修復学校は学生にとって寛容な教育環境でした。例えば、担任の先生からは「不満やわからないことがあれば言うこと。我慢していたらわからないねぇ。学生がやりたいことに協力するのが先生の役目だから。」とよく言われました。私が外国人で特別かと思っていたら、同級生が「私はこの課題ではなく違うことがしたい」「これが面白いから引き続き研究したい」と言っている姿を見ました。先生は「もう少し続けてみては?」「じゃあ変更も考えよう」「では、君だけこれを深めてみるか、図書館で文献を読むのも忘れずに」などと助言しており、短い教育期間で有効な指導、訓練が与えられていたように思えました。(これは修復教育というよりオランダの教育の特長なのかもしれませんが)
私自身の例では、当時の保存科学部長Judith H. Hofenk de Graaffから「素晴らしい和紙の国日本からはるばる何しに来たの?」と問われ、日本やアジアのインク焼け文書や酸性紙資料の劣化について話すと「それは大事だ。欧米では洋紙の研究が先行しているからアジアなど熱帯地域の資料の劣化にはまだまだ課題があるね。貴方のやりたいことを遠慮せず何でもやりなさい」と応援されました。ちょうど在学中、ICNはインク焼けのワークショップの開催、大量脱酸の研究結果が公表され国立公文書館や王立図書館での採用、稼動が行なわれていた時期でしたので、いろいろと勉強する機会を持つことができました。
また保存科学者らが専門知識や技術的なこと以外に「先進国の役割」に触れていたのが印象的です。つまり新しい素材や技術が生まれる中、保存科学は様々な問題を長期的に考慮して新しい技術を積極的に取り入れたり、一方で作品へのリスクを回避するあるいは最小限にするために基準や規制を設けたり、警告を発したりする役割があるという意味です。私の理解では彼らは<問題解決型志向>で修復現場を支えてくれる存在で教育を受けている間とても頼もしく思えました。
25周年目にあたる2003年に修復学校がICNの予算削減の対象となり一時その存続が危ぶまれましたが、教育部門は閉鎖の危機を免れて現在も継続しているとのことで元在籍者としては嬉しい限りです。        (詳しいことはwww.icn.nlを参照ください。)

■NPO JCP NEWS〔文化財保存支援機構 ニュースレター〕(10号 2005.1.31) に寄稿したテキスト(世界の修復界は今-第6弾-オランダ 「オランダの修復教育事情」)からウェブ閲覧用に制作しました。