アジアの資料を救うため後継者を育てたい

                     坂本 勇


 「80年代、私はある財団の資料室に勤めていました。当時、紙の酸性劣化が問題になり、貴重な本を保護しようといろいろ調べました。すると外国には紙の修復保存を行うペーパー・コンサバターという専門家がいて、その教育機関もある、同時に国内にはそれを教える機関がないことがわかりました。
 すぐにこの技術を学びたいと家族を説得、デンマークへ向かったのは39歳のときです。デンマークの学校を選んだのは、以前に住んだことがあり、言葉が話せたこともありますが、世界でもっとも早く設立された専門家養成機関で、カリキュラムが充実していたからです。そこで2年間学びました。
 和紙の修復技術は、経師、表具の伝統の中に根づいており、修復も定期的に行われています。しかし、洋紙となると応急処置の修復のみ。これは紙の違いというよりも、日本では歴史が浅い文化のため、その評価が低いせいでしょう。デンマークの恩師は、明治の文豪の初版本が放置されていることに驚いていました。日本で洋紙の修復保存を仕事とするのは難しそうだと彼に相談すると、「手仕事は続かなければ忘れる、立ち止まれば君の技術も日本の貴重な財産も失われる」と言い、私が帰国後すぐに仕事がはじめられるよう、必要な機会を一式揃えてくれました。中古でも総額400万円近くの費用。彼は「出世払いでいいから必ず仕事をしなさい」と言ってくれました。
 帰国後は国内外の修復プロジェクトに参加し、関係機関にペーパー・コンサバターの技術を知ってもらい、仕事を増やしていきました。工房を設立したのは帰国後8ヶ月目でした」
「修復は、まず現状記録、診断、クリーニングの順で行います。そして、水没、焼けこげ、酸性劣化、欠損など、損傷に応じてさまざまな方法で修復します。多くの人にこの技術の存在を知ってもらい、明治、大正、昭和期の貴重な資料の保存に役立ててほしいのです。
 現在、アジアでは価値ある資料が保護されずに捨てられています。日本を含めアジア地域全体のペーパー・コンサバターを1人でも増やし、それをくい止める。それが、デンマークの恩師から技術とともに授かった私の思いです。紙業界の方々からの支援もぜひお願いしたいですね。


平成14年4月  日本紙共販株式会社洋紙営業本部発行『よーし!』Vol.26 に拠る