-紙の道とアジアの文書館-   

坂本 勇


1 紙の道

 身の回りにあふれる紙。空気や水のように紙も「あって当たり前」と考え、ないがしろにしてきた側面がある。昨今、環境問題を機に水や空気に目を向け、その重要性を再認識することとなったが、紙に対しても再認識をする必要がある。3世紀頃には、中国で原初的な紙が生まれた。この紙を製造する技術はシルクロードを通ってアラブからヨーロッパ、そしてアメリカへと伝播していき、その道は「紙の道」と呼ばれている。紙に関する参考書には、年代の記載された紙の伝播経路が整然と描かれているが、当時の状況から推測すれば、紙の伝播はそれほど明快ではないことに気づかされるであろう。 近年の研究から、縄文時代は文化的に貧しい時代などではなく、思いのほかレベルの高い暮らしや文化等があり、多様であったことが分かってきたように、「紙の道」もこれまでの固定概念を見直さなければならない時期がやって来た。それは様々な視点からのフィールド調査の蓄積によって到来したのである。紙の調査のため、筆者が滞在していたインドネシアには、伝統的な製法で作られた紙が各地に伝えられている。この紙の調査で訪れた島の人々は、古代人を彷彿とさせるようなダイナミズムや未知の世界に乗り出していこうとするエネルギーに溢れていた。それらの”神秘性”に出会った時、筆者は半ば定型化された過去をもう一度見つめ直してみたいと思うようになった。
 筆者の狭い経験の範囲でも、数年来、文書劣化調査などで訪れているベトナムやインドネシア及びその周辺地域での、紙の歴史と伝播に関する記録や言い伝え等の情報は大変少ない。紙の歴史の上では、あたかも瑣末な地域のような錯覚を受ける。しかし、これらの地域の現地調査で分かったことはベトナムの紙漉きは日本より古く、3世紀頃には蜜香紙の名で中国に知られるようになっていた。下って17世紀頃には、日本人街のある同国中部のホイアン港から、日本や世界の各地に向けてベトナムの紙(ゾー紙)が輸出されており、徳川家康文書の中にもこの紙が残存している可能性がある。インドネシアでは、和紙の原料にもなるカジノキを叩いて羊皮紙のように仕上げたダルアン紙やメキシコ・ハワイなどでも見られるタパ布(原料は同じくカジノキ)が伝えられている。そこには、同地域への古代におけるカジノキの伝播及び加工技法の変遷を垣間見ることができる。


2 情報の宝庫 −アーカイブズ−

 今後も継続して行われるベトナムやインドネシアでの伝統紙や歴史的文書の調査は、小さな出来事から始まった。国際交流基金の事業として、アジア各地の文書館の書庫内劣化損傷調査を1997年頃から実施してきたなかで、劣化損傷状況を点検しようと文書の山をパラパラとめくっていた時、これまで見たこともないような材質の文書が目に飛び込んできた。これらの文書は長年にわたり放置されてきたものであった。ベトナムやインドネシアの国立図書館や国立公文書館のスタッフや研究者の多くは、ヨーロッパの紙に長く慣れ親しみ過ぎ、自国の伝統的な記録素材について正確に識別し説明できない状態に陥っていた。
 思えば、もしこれらのアーカイブズに残されていた原始的なオリジナル文書が、マイクロフィルムや磁気ディスク等のメディアに媒体変換された後に処分されていたとしたら、歴史的な紙の発見や謎の伝統紙の素材に迫るチャンスはゼロとなっていた。世界中のアーカイブズには、計り知れないほどの膨大なオリジナル情報資源が眠っている。それらの資源が多くの人々に身近に利用できる状態にしてあるかどうか、そこにアーカイブズの今日的な役割があるように思う。


3 世界で活躍するペーパー・コンサバターの育成

 近年、海外の国際協力の現場で活躍するペーパー・コンサバター(文書等の修復保存の専門技術者)のニーズが高まってきた。日本政府の文化無償援助協力などを担いサポートしたり、アジア地域の国立公文書館の修復保存プログラムに専門家として参画していく事例が積み重ねられてきている。しかし、欧米の修復保存の先進国と比較してみると、国際水準にある日本人のペーパ・コンサバターはまだまだ少ない。それは、国立の高等教育機関がなかったことなどに起因していると思われる。岡山県の吉備国際大学でペーパー・コンサバターを養成する四年生の学部教育が新世紀の幕開けとともに始まる。これは、日本で初めてのことである。筆者が、ペーパー・コンサバターの資格を授与されたデンマークの王立文化財修復保存技術学院の創設から28年遅れのスタートとなった。
 遅れた分だけ工夫も加えられ、新設された文化財修復国際協力学科には「文化財非破壊分析」「修復」「デジタルコンテンツ製作」という時代のニーズに合った3つのラインが用意されている。TRCC東京修復保存センターでは、アジア諸国の文書館スタッフの研修の受け入れを1993年から行ってきたが専門家の養成には程遠いものだった。日本でもこのような専門家養成の受け皿が整ってきたことから、アジア諸国からの留学生にも広く門戸を開き、アーカイブズにおける国際協力を着実に進展させていきたいと考えている。


(平成13年3月 「千葉県の文書館」第6号に拠る)