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1.アルメニア最古の「981年手稿本」収蔵機関
981年の奥付けがある紙素材の手稿本は首都エレバンにあるアルメニア国立マテナダラン古文書館に収蔵されている。東西シルクロードの要衝に位置したアルメニア国は、AD301年に世界で一番初めにキリスト教国となり、405年にアルメニア文字をMashtotsの手により創始した歴史をもつ。
マテナダラン古文書館の原点もアルメニア文字が創始された5世紀に遡り、マテ=Book、ダラン=Depositoryという意味である。
度重なる戦火やジェノサイドという過酷な歴史を経ながらも、アルメニア語古文書11,000点、断片3,000点、ギリシャ語やペルシャ語など外国語古文書3,000点、印刷物300,000点余が保存される、今も世界に輝く歴史文書・文化遺産の宝庫である。http://www.matenadaran.am
2.手稿本コンディション調査
紙質はおおむね良好であるが、筆記インクのInk
Corrosion(インク焼け)はひどく、かなりの頁で文字箇所の崩落、亀裂などが目立っている。インク筆記箇所以外にも化学的劣化による割れが生じており、取り扱いが非常に困難となっていた。
そのため、アジアの紙を多く調査してきたJICA専門家(TRCC 東京修復保存センター派遣)に対し、マテナダラン古文書館館長の特別の要請で、今回の最古の手稿本調査がなされた。<滞在期間の都合で2/3が調査未着手で次回に持ち越された。>
調査は急な要請であったことから、透過光、斜光、デジタル厚み計、精密電子天秤、採寸メジャー、ルーペを主に使って実施された。(写真A)
写真Bに見られるように、簾の太さはかなり太く20〜21本/3cmであった。(日本の百万塔陀羅尼経が16〜32本/3cmとされる。)密度から打紙加工はされておらず、地合いも非常に均質で、透過光を当てて手を紙葉の下に置くとくっきりと透けて見えた。(写真C)
<981年手稿本>基本的データ ●資料名: A Book of
Knowledge and Belief(英訳タイトル・No.N2679) |
多くの紙葉には縦横に規則的な小さな穴が開けられているのを観察できる。
おそらく、正確に文字を書くための罫を引くため、あるいは目安とするためのものであったろう。また数葉には凹凸が生じるような空罫が観察された。
歴史的には、当時のアルメニアで消費された紙の多くはダマスカス・ペーパーと呼ばれ、はるばるシリアのダマスカスから運ばれていたとも推測できる。793年にバグダッドに最初の製紙工場が出来、ダマスカスで紙が生産されたのは10世紀と言われていることから、アルメニアの981年の手稿本はこの地域では「黎明期の希少な紙」と考えられる。
書写生はインク書きに適するように澱粉糊を両面に塗り、磨きをかけて表面を光沢がでる位まで仕上げたものと思われる。(写真DEF) 日本などでは墨書に適したドウサ引きがよく紙に施されるが、アルメニアの紙においては東洋的な紙の雰囲気を残しながらも、1410年のTovma
Metsopetsiの記録(マテナダラン古文書館所蔵)に、紙の両面にインク書きに適した澱粉糊塗工と磨きを施したとの記述が見られる。
D E F
マテナダラン古文書館での数日の手稿本調査であったが、この調査によりコンサバターの立場からも「経験豊富な専門家集団による科学的調査・分析が修復に先立ち必要である」「科学的調査を妨げる修復処置を性急に行わない」「保護のため使用を当面制限する」ということを調査結果とともに報告提言した。
3.今後の課題
陸と海のシルクロードを介して長い年月をかけて中国から紙は世界に広がり、「紙の道」(Paper Road)となっていったと考えられる。しかし、製紙技術と原料植物の伝播と混交は現代人が考えるほど単純な図式ではなかったろう。この謎解きについては、多方面の研究者の協同作業が必要となる。
端緒についたばかりのアルメニアでの古文書をはじめ様々な歴史遺産の調査と修復保存事業が日本政府やJICAの支援で継続され、またシルクロードの東端の日本にも大きく成長した形で還流してくることが期待される。
【参考】
1)The Crafts and
Mode of Life in Armenian Miniatures,Yerevan,1973/ Astghik Guevorkian
2)Circumstances of Creation of Armenian Manuscript, Yerevan,2004/ Gevorg Ter. Vardanyan